初心者用 資産運用基礎知識
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時価について
市場において、債券や株式が売買される価格のこと。
為替において事象が起きる確率(数学的確率、理論的確率などともいう)が p であり、その試行は、繰り返し行ったとしてもある回の試行が他の回の試行に影響を及ぼすことがない(独立試行)ものとする。このような前提条件の下で、その事象が起きる比率が試行回数を増やすにつれて近づく値(統計的確率あるいは経験的確率)は p である。つまり、各回の試行において各事象の起こる確率というものが、試行回数を重ねることで、各事象の出現回数によって捉えられるというのが大数の法則の主張するところである。
外貨預金、つまりゆがみも偏りもない"理想的なコイン"を投げて出る表裏を当てるゲームを行うとする。ここで、"理想的なコイン" とは「それを投げるとき、各回の試行において表が出る確率も裏が出る確率もともに 1/2 である」という確率モデルそのもののことである。このとき、コイン投げの試行回数を限りなく増やせば、表が出る回数と裏が出る回数の比率はどちらも 1/2 に近づく。実際にコイン投げをしたとき、(微視的に)一部分だけ見たときには出方が偏って見えることがあったとしても、全体として(巨視的に)見れば、試行結果というものは各事象の起きる確率によって支配されているのだ、ということもできる。
LTCMはソロモン・ブラザーズ(現在はシティグループの一ブランド)で活躍していた債券トレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され、1994年2月24日に運用を開始した。このファンドはFRB(アメリカの中央銀行)元副議長デビッド・マリンズや、ブラック-ショールズ方程式を完成させ、共に1997年にノーベル経済学賞を受けた経済学者であるマイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が取締役会に加わっていたことから「ドリームチームの運用」と呼ばれ、当初より12億5000万USドルを世界各国の証券会社・銀行などの機関投資家、富裕層から集める事に成功した。メリウェザー自身は25億ドルの資金を集めることが目標であったが、この募集金額は、ファンド創始時のものとしては史上最高額となるものであった。
IPOの加入によって民間のファンドでは通常ありえない投資資金の流れが生まれたためである。主なものとしては、香港土地開発局、シンガポール政府投資公社、台湾銀行、バンコク銀行、クウェート国営年金基金、イタリア銀行などがある。日本では住友銀行が1億ドルをLTCMに投資していた。
また著名人も数多くLTCMに投資した。ハリウッドエージェントのマイケル・オビッツ、ナイキのCEOであったフィル・ナイト、ベア・スターンズCEOのジェームズ・ケインなどが多額の資金をLTCMに提供した。さらにはセント・ジョーンズ大学、イェシバ大学、ピッツバーグ大学なども資金を提供したことから、いかにLTCMが世間から期待され信用されていたかが伺える。
その運用方針は、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない事に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りするもの(レラティブ・バリュー取引)であった。コンピュータを用いて多数の銘柄について自動的にリスク算出、判断を行って発注するシステムを構築した。また、個々の取引では利益が少ないことから、発注量を増やし、レバレッジを効かせて利益の拡大を図った。その後、1995年にはM&A、1996年には金利スワップ取引、1997年には株式やモーゲージ取引のように、低流動性かつ不確実性が高い市場取引にも参入していった。
株や国などに攻撃を仕掛けるマクロファンドと異なり、市場に対して中立的な方針をとるこのファンドの運用は1998年初めまで成功し、当初の投下資金は4年間で4倍に膨れ上がった。平均の年間利回りは40%を突破した。結果としてLTCMへの信用が高まり、資本金65億USドル程度の会社が、UBSなど各国の金融機関の資金1000億USドルを運用するという状態にまでなった。
しかし1997年に発生したアジア通貨危機と、そのあおりをうけて1998年に発生したロシア財政危機が状況を一変させた。アジア通貨危機を見た投資家が「質への逃避」をおこしつつあったところへロシアが債務不履行を宣言した事により、新興国の債券・株式は危険であるという認識が急速に広がり、投資資金を引き揚げて先進国へ移す様になったのである。LTCMの運用方針では、このような動揺は数時間から数日のうちに収束し、いずれ新興国の債権・株式の買い戻しが起こることを前提としており、それに応じてポジションをとった。これはブラック-ショールズの式に基づいた考えであったが、これらの経済危機によって生まれた投資家のリスクに対する不安心理は収まらず、むしろますます新興国・準先進国からの資金引き上げを加速させていった。先進国の債券を空売りし、新興国の債券を買い増していたLTCMの経営は深刻な状態となった。
結果としてLTCMの運用は破綻し、資産総額が下がり始めてから約8ヶ月の間で1994年の運用開始時点の額を下回り、同年9月18日ごろには誰の目にも崩壊寸前である事が明らかとなった。
だが、前述の通りLTCMは欧米の金融機関から投資された1000億USドルもの資金を運用しており、さらには1兆USドルに上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。そのためLTCMが崩壊すると、ただでさえ前述した経済危機により不安定となっていた金融市場に多大な影響を与え、恐慌への突入も危惧された。また、その成功を見た多くの金融機関がLTCMの運用手法を模倣しており、それらも多大な損失を生み出していた状況であったため、なおさらのことであった。
そのため、一私企業の救済は自由経済の原則にそぐわないとして反対する声を押し切り、ニューヨーク連邦準備銀行の指示によりLTCMに資金を提供していた15銀行が、LTCMに最低限の資金を融通し、当面の取引を執行させて緩やかに解体を行わせていく事にした。またアメリカにおいてはアラン・グリーンスパンの指示により、短期金利のFFレートを1998年9月からの3ヶ月間で3回引き下げるという異常なまでの急速な対応をとり、LTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。
これらの行動を受け、日本でも同様に1999年初めに金融恐慌を発生させないため(日本長期信用銀行・日本債券信用銀行などの破綻の影響もあったが)、銀行への公的資金注入と、ゼロ金利政策の実施がなされている。
ただし、この救済融資は、融資先がヘッジファンドという従業員個人の才覚が財産であるという性格の社団であるため、日銀特融のような単純な緊急融資ではなかった。例えば、パートナー(運用者)らは、返済まで3年間は退職することは許されず、ボーナスや運用報酬はほとんどゼロというトレーダーには屈辱的な契約を結ばされた。
また、この危機の最中にジョージ・ソロス、ウォーレン・バフェットという世界的な投資家やゴールドマン・サックスなどの巨大投資銀行がLTCMのノウハウを独占するために、共同あるいは単独で、足元を見た買収を打診しており、この「救済」もFRB主導で行われた事実上の買収だったのでは?という見方も出ている。当然のことながら、この一連の危機でLTCMのノウハウはすっかり流出してしまった。